「80万円なら、今日決めます」
100万円で提案していた案件で、顧客からこう言われたらどうしますか。
あと20万円下げれば受注できる。
営業担当者としては、かなり迷う場面です。
「今日決まるなら」「今月の数字もあるし」「ここまで商談を進めてきたし」
そう考えているうちに、90万円なら。いや、85万円なら。もう少しだけなら。と、少しずつ条件を下げてしまう。
価格交渉でよく起きる失敗です。
このとき重要になるのが、交渉学の基本概念である 留保価値 です。
留保価値とは何か
留保価値とは、「これを下回るなら合意しない」と、あらかじめ決めておく境界線です。
例えば、100万円の商品を販売するとします。
値引き余地はある。しかし、導入後の対応工数、原価、サポート費用まで考えると、85万円を下回ればほとんど利益が残らない。
この場合、85万円が、自社にとっての最低ラインになります。
つまり、85万円以上なら合意を検討する。85万円を下回るなら、その案件は取らない。
この境界を商談前に決めておく。それが留保価値です。
なぜ「商談中に考える」と危ないのか
価格交渉の最中には、営業担当者の判断を狂わせる要素がたくさんあります。
- ここまで時間をかけた
- 今月の売上目標が厳しい
- 顧客の反応が良い
- 今日決めてもらえそう
- 上司に受注を期待されている
こうした状況では、本来の採算よりも、「この契約を取りたい」という気持ちが強くなります。
すると、最初は90万円までと考えていたのに、「あと5万円なら」「ここまで来たなら」と、自分で自分の限界線を後ろへ動かしてしまいます。
交渉中に最低ラインを決めようとすると、感情に引っ張られるのです。
「できれば90万円」は最低ラインではない
商談前に、「できれば90万円は欲しい」と考えている営業担当者は少なくありません。
しかし、「できれば」では弱い。
なぜなら、「できれば90万円」は希望価格であって、最低条件ではないからです。
必要なのは、「90万円が理想」ではなく、「85万円を下回るなら、この案件は取らない」という判断です。
留保価値は、願望ではありません。意思決定の境界です。
留保価値は価格だけではない
留保価値というと、価格の最低ラインだけをイメージしがちです。
しかし実際の法人営業では、価格以外にも限界条件があります。
- 納期はこれ以上短縮できない
- 支払サイトは90日を超える条件では受けない
- 最低発注数量を下回るなら対応できない
- 保守範囲はここまで
- 契約期間は最低1年
- この仕様変更までは対応するが、それ以上は追加料金
営業交渉は、価格だけを決める場ではありません。
複数の条件を組み合わせて合意をつくる場です。
だからこそ、自社として守るべき最低条件を、論点ごとに持っておくことが重要です。
値引き要求に対して「どこまで下げるか」ではなく「どこで止まるか」
営業担当者は値引きを求められると、「どこまで下げれば決まるだろう」と考えます。
しかし、その前に考えるべきなのは、どこで止まるかです。
例えば、顧客「80万円なら決めます」営業「80万円ではお受けできません。ただし85万円であれば、現在の仕様を維持したまま対応できます」と言えるかどうか。
この違いは大きいです。
最低ラインが決まっていなければ、80万円を聞いた瞬間に、「何とか近づけよう」と考えます。
最低ラインが決まっていれば、「85万円より下はない」という軸を持って話せます。
断るためではなく、良い合意をつくるための基準
留保価値を決めるというと、「強気に断るためのテクニック」のように聞こえるかもしれません。
しかし目的は、相手を突っぱねることではありません。
むしろ、悪い合意を避けるためです。
受注した瞬間はうれしくても、利益が出ない。現場に無理が出る。追加対応ばかり増える。社内から不満が出る。
そんな案件なら、本当に良い受注とは言えません。
営業の仕事は契約を取ることだけではありません。
会社に価値を残す条件で契約することまで含まれます。
商談前に決めるべき3つの最低ライン
1.価格の最低ライン
どこまでなら利益が残るのか。
原価だけでなく、営業工数、導入工数、保守、追加対応まで含めて考えます。
2.条件の最低ライン
価格だけでなく、納期、数量、支払条件、契約期間、サポート範囲など、守るべき条件を確認します。
3.そのラインを超えたら本当に断れるか
ここが重要です。
最低ラインを決めても、実際には断れないのであれば意味がありません。
前回取り上げたBATNA、つまり「この案件が成立しなかった場合の代替案」とセットで考える必要があります。
今日の実戦ポイント
今回覚えておきたいのは一つです。
限界線は、席に着く前に引け。
商談が始まってから、「どこまで下げよう」と考えない。
冷静な状態で、「ここまでは合意する。ここを超えたら合意しない」と決めておく。
それが、営業交渉で自社の利益を守る基本になります。
営業交渉術を体系的に学びたい方へ
留保価値は、営業交渉で守るべき条件を決めるための基本的な考え方です。
実際の商談では、価格だけでなく、納期、数量、契約期間、支払条件、競合、社内稟議など、複数の条件を同時に扱う必要があります。
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営業交渉術137の原理
このシリーズでは、交渉学・心理学・行動経済学・意思決定論・行動科学などから、法人営業の現場で使える137の原理を一つずつ取り上げます。
次回は 「ZOPA」。売り手と買い手の条件が重なる「合意可能領域」について解説します。