「今回の予算は100万円くらいです」
商談の序盤で、顧客からこう言われたとします。
自社商品の標準価格は150万円。
しかし一度100万円という数字を聞くと、営業担当者の頭には、110万円。120万円。頑張っても130万円。という数字が浮かび始めます。
ここで一つ考えてみてください。
なぜ100万円を基準に考えているのでしょうか。
競合が100万円だから?市場価格が100万円だから?顧客が100万円以上払えない客観的な理由があるから?
そうではないかもしれません。
ただ最初に、「100万円くらい」という数字を聞いただけ。
それなのに、その数字が交渉全体の基準になってしまう。
これが アンカリング です。
アンカリングとは何か
アンカリングとは、最初に提示された数字や情報が、その後の判断の基準になりやすい現象です。
アンカーとは、船を固定する「錨」のことです。
一度錨が下ろされると、船はその周辺から大きく離れにくくなります。
人の判断も似ています。
最初に100万円という数字を聞く。すると、その後の価格交渉が、100万円を中心に行われるようになります。
本来150万円の商品なのに、「100万円からどこまで上げられるか」という思考に変わってしまいます。
相手の数字に根拠があるとは限らない
顧客が、「100万円くらい」と言った。
その瞬間に営業担当者が考えるべきなのは、「いくらまで近づけるか」ではありません。
まず確認するべきなのは、その100万円には、どんな根拠があるのかです。
- 予算枠が100万円
- 過去に購入した商品が100万円
- 競合他社が100万円
- 稟議権限の境界が100万円
- 何となく100万円くらいだと思っている
これらは全部意味が違います。
特に危険なのが、根拠のない数字を、そのまま正しい基準として受け入れてしまうことです。
「予算100万円」と「価値100万円」は違う
顧客が100万円と言ったからといって、その商品に100万円しか価値を感じていないとは限りません。
単に、「今のところ100万円くらいだと思っている」だけかもしれません。
商品の効果。導入後の利益。削減できるコスト。競合との違い。サポート内容。
こうした情報をまだ十分理解していない段階なら、100万円という数字は、顧客の最終評価ではありません。
営業側がその数字に引っ張られて先に値下げしてしまえば、自分から商品の価値を100万円近辺へ固定してしまうことになります。
価格を出す順番も交渉になる
アンカリングを考えると、価格を出す「順番」が重要になります。
例えば、顧客が先に、「100万円くらいでしょう」と言う。
営業がその後、「では110万円で」と答えれば、100万円が交渉の中心になります。
逆に、営業側が価値と根拠を整理したうえで、「今回の仕様では150万円です」と最初に明確な数字を出せば、150万円が一つの基準になります。
もちろん、何でも先に高い金額を言えばいいという話ではありません。
根拠のない数字を出せば信頼を失います。
重要なのは、自社側にも説明可能な基準を持つことです。
アンカーを打たれたら、すぐ値引きしない
顧客から、「予算は100万円です」と言われたら、すぐに、「では120万円ならどうでしょう」と返さない。
まず聞く。
「100万円というご予算は、どのように決められたのでしょうか?」
「他社様の価格との比較でしょうか?」
「今回の投資全体で100万円でしょうか。それとも初期費用の上限でしょうか?」
こうした質問で、その数字の背景を確認します。
数字に意味があるのか。ただのアンカーなのか。それを見極めてから交渉します。
営業側もアンカーを持っておく
アンカリングに影響されないためには、営業側も自分の基準を持っておく必要があります。
- 標準価格
- 市場価格
- 導入効果
- 投資回収
- 類似事例
- 原価
- サービス範囲
相手が100万円と言っても、自社には150万円という根拠がある。
その状態なら、相手の数字だけに引っ張られずに済みます。
つまり、アンカーに対抗する一番の方法は、自分の物差しを持つことです。
価格交渉だけではない
アンカリングは価格以外にも働きます。
例えば、「納期は2週間で」と最初に言われる。
すると営業側は、「3週間なら何とか」と考え始めます。
しかし通常納期が6週間なら、そもそも2週間という数字が妥当なのかを考える必要があります。
発注数量。契約期間。成果目標。値引率。すべて同じです。
最初に置かれた数字が、その後の交渉の中心になりやすい。
だからこそ、最初の数字を軽く扱ってはいけません。
営業自身もアンカーに気づいていない
アンカリングの厄介なところは、影響を受けている本人が、それに気づきにくいことです。
営業担当者は、「自分で考えて120万円を提示した」と思っている。
しかし実際には、最初に聞いた100万円を基準に、少し上へ調整しただけかもしれません。
そのため商談後に一度、自分に問いかけてみるといいでしょう。
「あの数字を聞いていなかったら、私はいくらを提示していただろう?」
この問いは非常に有効です。
今日の実戦ポイント
今回覚えておきたいのは、先に基準を置け。相手の物差しで値段を決めるな。です。
顧客が出した最初の数字を、そのまま正しい基準にしない。
まず根拠を確認する。そして、自社側も説明可能な基準を持つ。
価格交渉で重要なのは、どこまで値下げするかだけではありません。
何を基準に、その価格を話しているのかまで見ることです。
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価格交渉では、数字そのものだけでなく、最初にどの数字が置かれたか、どの順番で条件が提示されたかによって判断が変わることがあります。
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営業交渉術137の原理
このシリーズでは、交渉学・心理学・行動経済学・意思決定論・行動科学などから、法人営業の現場で使える137の原理を一つずつ取り上げます。
次回は、同じ価格でも「高い」「安い」の感じ方を左右する 「参照点依存性」 を取り上げます。